第2章 人は本当に「自分の欲望」を知っているか?―書店の情報論
p.42-66
人は自分のやりたいことを知らない
目的があるときはネットの検索機能のほうが有効
リアル本屋があるべき一番の理由は、人間はすべての欲望を言語化できていないという根本的なところにある
「何がやりたい?」「何がほしい?」と聞いてみると、案外答えられない
言語化できる人間の欲望は、限られている
言語化できている割合は低く、なんとなくぼんやりと欲していても、具体的に名指しできない
脳科学者のなかには、人間はそもそも欲望なんてものはないという人もいる
欲望という概念は、自分のした行動を後から正当化するための理由でしかないと解釈する観点もある
人々の欲望をとらえること
人は自分の欲望にそんなに自覚的ではない
だからこそ、そこを言語化することが仕事になる
欲望が言語化されることで、その欲望に向けた商品開発/プロモーションが可能になる
言語化された表現があってはじめて「そう、私もそれが欲しかった」ということに気づく
欲望は言語化されて、明確になってはじめて満たすことができる
いい本屋は欲望を言語化してくれる
いい本屋 → 欲望の言語化を次々としてくれる場所
買うつもりはなかったけど、自分も気づいていなかった、自分が読みたいと思っているものに出会える
本屋で、本を手にとってはじめて気づく自分の欲望
何か企画を考えようとする時、一人で悩んだり物々しい会議をしたりするより、気楽な飲み会のほうがアイデアを思いつくことが多い
周りの人の反応や雰囲気に触発されて、自分の言語化されていない部分が現れているのかも知れない
リアル書店の最大の強み
- 欲望の言語化
- 欲望の発見
- 自分で気づいていなかった自分の欲望を発見させてくれる場所
- 「自分ってこういうことに興味があったんだ」ということを知る知的刺激を与えられる
- 「何がほしかったのかがわかる」
言語化できていないものは検索することもできない
本屋とデジタル広告の共通点とは
広告 → メッセージの伝達
昔ながらの広告 → クライアント企業の伝えたいことをキャッチコピーなどにしてそのまま直接いうもの
ネット広告 → ユーザーの方に、「これがいいたいんだな」と気づいてもらう
ユーザーにオーナーシップをもって楽しんでもらうコミュニケーションの考え方と、いい文脈棚をもった本屋が非常に似ている
いい文脈棚に出会うと、かわされている感覚はなくて、自分が自覚的に買っている感覚になる
自分で発見する喜びが得られる
いい本屋は現代においても新しいコミュニケーションの手段
本屋で五分立っていることの情報量
よく作られた書棚は、大量の情報をシャワーのように浴びられる情報発信装置
書棚を情報のフォーマットとして考えると、かなり効率のいいもので、かつ本屋の数だけバリエーションがある
現在売れている本と、その本屋が売りたい本が同時に並んでいることから、いまの時代の気分を知ることやこれからくるだろう流行の先取りまでできる
自分の興味と体系図
本屋のもう一つの役割 → 自分の興味が世の中全体の体系の中でどこにポジショニングしているかがわかる
ネット検索だけだと検索した本/検索キーワードに合致する候補すべてといった範囲でしか見ることができない
自分の検索した本や言葉が、いったい世の中でどのような位置を占めているのかを判断することが難しい
本屋の場合、どのコーナーに置かれているか、棚の中でどのような位置づけにあるかによって全体の知識体系の中で今時分が興味あるものがどのポジションにあるのかがわかる
ネットだと、自分に都合のよい情報だけを見て、それが全てであるかのように思ってしまう
本屋のいい点は、断片的な情報だけでなく、全体を一覧した上で探している情報がどこにあるか、ある程度編集された形での情報を手に入れられる
全体の中での位置づけがわかれば、そこから興味関心を隣り合う分野に向けて広げていくことも可能で、そうすることで知識の体系として身についてくる
大切なのは無駄な情報
何かいいアイデアはないかという状態では見つけるぺき情報を自分も知らない
アイデアに結びつく引き出しを多く持っているほどいい
役に立たない無駄なものを集めている人のほうが、いい企画の立案やいい仕事ができるのではないか
周辺情報にあたって無駄だと思ってみたり、考えるプロセス/思考の回路/思考の訓練のような経験があったほうが人を豊かにするような発想が生まれる
学問は何の役に立つのか
役に立つ/立たないが重要ではない
他の人には無駄かもしれない知識が、知的冒険に誘ってくれる楽しさ
新しいことを知って、それを説明したい
本屋は無駄なものに会いに行く場所
いろんな人の仕事を見ていても、無駄の中からすごく本質的なことが生まれる事が多い
検索結果は誰が見ても同じものが出てくる
それを各人の視点で加工して企画やアイデアに昇華していく
そこに自分独自の情報を組み込めると、人と違う発想を生み出しやすい
なので、みんなと同じ武器を持って戦うよりは、無駄な物をいっぱい持っている人のほうが最終的には戦力になるような気がする
本屋に行くのは基本的なスタンスとして無駄なものに会いに行く
無駄なものに会える幸せは、本屋の本質
本屋の棚の前をうろうろするのは、膨大な無駄な知識の世界に自分が浮遊しているような感じで、純粋に楽しい
人間は無駄な知識を得ることで会館を覚える唯一の動物である - アイザック・アシモフ
無駄は人間の特権
検索で解答に一直線に行くより、寄り道していろいろなものに触れながら進んだほうが楽しい
迂回性のすすめ
無駄や迂回を楽しむための場
本は読むまで役に立つかわからない
無駄なものはない
役に立たないことが楽しいというノスタルジーにひたっているように情緒めいて聞こえる
単純に無駄があった生活は豊かになり、面白いことを生み出すのではないかと思う
ネットで直接的に欲しい物を得られるようになった事もあって、いまは必要かどうか分からない物がないがしろにされすぎている気がする
本は読むまで役に立つかどうかも分からない
本を出版する側も今すぐに必要な情報が載っているような本を出しすぎている
読者が求めているからという理由もあるが、世の中全体が役に立つ病にかかっているのではないか
効能を謳うような本が多いけれど、そういう種類の情報は、情報の中のごく一部でしかない
そんなに役立つ情報が溢れているならみんながその効能を受けていなければならない
* 「情報は役立つものであって、本にはその役立つ情報が載っていなければならない」と思っているフシがあるが、必ずしもそうではないことに気づくことが大切 読んだ体験やそこで考えたことは、その人のその後の人生のどこでどう役立つか分からない
漢方薬的で、少し遅れてじわじわ聞いてくる
本屋は、今すぐ役に立たないものの宝庫
本屋を情報の場と捉えるのではなく、遊びの場としてとらえてみれば、学者の研究と同じで、あれこれと探すのは非常に面白くて、贅沢なこと